開院以来、いや、医者という職業についた時から私がお会いする方々は、普通の仕事で言うお客様ではなく、必ず身体に不調を抱える患者様です。言うなれば、普段一番会いたくない人が私という事になる不思議な職業です。しかし、身体に不調を抱える方達にとっては、自分の身を預けなければならない唯一の存在でもあります。
医者という職業が、患者様にとって唯一の存在であるならば、身体に不調を感じた時、一番最初に相談される医者になりたいと「まつのクリニック」を開院いたしました。小児医療・内科・リハビリテーション科と年齢問わず広い範囲を診察できる様に努力いたしました。
現在では、”かかりつけ医”や”ホームドクター”など目にすることや耳にすることも多いかと思いますが、英語ではファミリードクターと言います。家族の医者。生まれたての赤ちゃんが居るかもしれませんし、おじいちゃん・おばあちゃんが居るかもしれません。全ての年代をカバーする医者。「まつのクリニック」は、ファミリードクターです。
そして、更なる社会的責任を担うべく平成24年1月1日に「医療法人 慈亮館」を設立いたしました。今後とも御遠慮なくお身体のことを御相談ください。
また、障害を持っているお子様や高齢によりクリニックへ来ることも困難な患者様は「在宅療養支援診療所」として往診に伺いますので、どうぞお気軽に御相談ください。
医療法人 慈亮館 理事長
《略歴》
平成5年5月 島根大学医学部卒業後、久留米大学第一外科入局、
平成6年4月 久留米大学小児外科入局 (~平成17年度09月まで在籍)
平成6年6月~平成7年7月まで、福岡市立こども病院にて研修
早いもので20年以上、小児外科医として駆け抜けて参りました。
一般的に、子どもは小児科、大人は内科や消化器外科など、それぞれの症状に合わせた診療科を受診します。
ところが、生まれながらに何らかの障がいを持たれた患者さんは、最初は赤ちゃん期に出会い、生命維持のための手術に携わるところから始まり、徐々に成長していく過程で、他の診療科に移行することが難しい場合も少なくなく、そうした患者さんを生涯サポートするのが小児外科です。
また、小児外科医となるには、外科医認定医の資格も必要で、一般外科としての知識と技術の鍛錬も必要です。
それらに情熱を注ぎ、20年以上がんばってここまでやってこれたのは、地域の、地元の人々のお陰だと、感謝の言葉も見つかりません。
小児外科医として患者さんと接する事は、子どもとか、大人とか、そうした年齢に違和感なく診療するきっかけとなり、また、久留米大学病院勤務医時代の平成12年から5年間着任した北海道で、へき地医療に没頭した経験こそが、私の医者としてのスタイルの原点だと思います。
北海道の振内町では、入院できる設備のある病院まで片道3時間はかかる医療条件でしたので、赴任中は、産科(お産)以外は、全て診療させていただきました。
それは大学病院勤務時代とはまったく違う世界で、設備はもちろん医者も私以外いない、独りでやらなければならない極限状態です。
しかし、本当に極限状態にあったのは、そこに住む住民の方々だったと思います。
なぜなら、頼るべき医者が私以外いないのですから、選ぶこともできないのです。
この5年間が、医者として自立するための研修だったのだと深く感謝しています。
そして、町を離任する際に人口1000人の振内町で、1000人全員の署名で引き留めていただいた事は、私の人生において一番の勲章です。
母の看病のため、振内町を離れ、大学病院も退職した私が、太宰府のこの地で開業して10年余り。
今でも、北海道で関わった患者さん達の顔が一人一人懐かしく思い出されます。
あの時、あのまま、振内町に残っていたら…と想像する事もありますが、北海道で培った経験を太宰府で、この町で、活かすことこそが、ご恩返しだと信じて走り続けます。
子どもだった開業当初からの患者さんが大きくなり、いつしか「クマ先生」と呼んでくれる、今の私の一番の励みです。
これからも地域のかかりつけ医として、町の皆さまのお役に立てる「クマ先生」でありたいと願い、努力を続けます。
《資格および所属学会》
平成10年12月 日本外科学会認定医取得
平成14年01月 日本医師会認定健康スポーツ医取得
平成14年09月 日本医師会認定産業医取得
平成16年04月 医学博士学位取得
平成17年01月 ICD(感染症管理医師)取得
平成30年09月 認知症サポート医
福岡県難病指定医
福岡県小児慢性特定疾病指定医